私は留学先のアメリカでヨガに出会ったので、言葉は英語とサンスクリット語で学んだ。 ある意味、それはとても幸運だったと思っている。何故なら、英語やサンスクリット語は表 現がとても単刀直入だから分かりやすいが、一方、日本語は敬語や性別によって言葉が異な るなどして表現が複雑だ。
ところで、私の提唱するホルト・ヨガでは、自分の内面を探るために相手を鏡にして話す話 し方 (Co-Listening: コ・リスニング) を練習する。そのときの主語はいつも自分、だか ら話すときは必ず「私は・・・」で始まる。英語で話すといつも「I: アイ(自分)」 で始まるから分かりやすいが、日本語だと往々にして「I」が「They:一般の人々(彼ら)」 だったり「We:皆(我々)」になりがちだ。そこには自己責任で話しているという感じが薄 い。
当然、日本の社会は個人の意見よりも一般大衆の意見を重んじる傾向にある。もちろん、 そこに是非を入れる必要はないが、ヨガを教えていて感じることは、英語やサンスクリット 語を交えることによって、学ぶ側が自分を主役として捉えやすくなると、ヨガの効果はもっ と社会に広まるのではないだろうか。
ちなみに、ホルト・ヨガのマニュアルは日本語が主体 だが、英語もサンスクリット語も適当に混じっているので、知らず知らずのうちに「自分が 主役」になり、だから「自己責任で生きる」ことが自然に身につくのかもしれない。
(写真:アンバ先生 2006年 新潟県出湯温泉郷でのYTT合宿にて)
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