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五六七(コロナ)~ あなたが主役 ~ (その5.)

今回は、人生路の登山に必要な装備の二つ目「人生の目的」についてです。

生まれたときにどんな目的を持っていたかを記憶している人は少ないでしょう。 言葉を話せるようになって、みんな好きと嫌いとが分かってくると、それを基に人生の目的 が形成されやすいのです。ところが、子供は周囲の大人が選択した好きの方を選んでしまう かもしれません。そうして、いつの間にか自分が好きで選んだのか、大人が選択した「好き」 を選んでしまったのかが分からなくなってしまいます。


先回お話ししたように、人生路の標識は誕生時がゼロ(無)、最終点が∞(無限大)だと仮 定するなら、子供は「ゼロ=物ではない何かに溢れている(無)」を選ぼうとするかもしれ ませんが、大人は「ゼロ=物が何もない空っぽ(無)」と見るくせがついているので、両者 は対立してしまいます。

では、こう考えてみたらどうでしょう? 人生の目的として必ずしも好きなことを選ぶ必要はないということです。子供の心は純粋 ですから、あなたがもし三歳の頃まで好きなことをさせてもらえたなら、それは人生の目的 に沿っているかもしれません。しかし、大人になってから、自分があまり好きではない、不 得意なことを選んでやってみると、意外にそれが子供の頃に好きだったことと重なり合っ たりして不思議です。明らかにその例は私本人に当てはまります。

私は今からおよそ 5 年前に空手を習い始めました。きっかけは一冊の本に出合ったからで すが、「空手」と聞いただけで拒否反応を示す自分がいたにもかかわらず、体験に出かけ、 その日に入門を決めてしまいました。以来「老体に鞭打って」の 5 年間でしたが、今年の 1 月に念願の黒帯に昇段することができました。今振り返ってみると、特に長年ヨガを学んで いたので、頭の中で調和を好む自分を認め、格闘する自分を否定していたことに気づかされ ました。

しかし、私が選んだその「空手」は「調和の空手」だったということが分かり、し かも自分は結構負けず嫌いで正義感の強い子供だったことを思い出してからは、ヨガも空 手も中身は「調和」であり、必ずしも格闘技のすべてが「戦い」ではないと知って安心しま した。


ただ、「空手」に出会ったときに、私の中に装備の一つ目「意欲」が満々でなかったなら、 今日まで続けることは難しかったでしょう。5 年のあいだで、自信を失いそうになった時も ありましたが、ヨガで身に着けた調身、調息、調心を心掛け、姿勢を調え、呼吸を調え、心 が静まるのを待っていると必ず自信が戻ってきました。 自信を失うと、まるで、自分の中に真逆の二人が住み分けて存在しているような不安な状態 になるので、先ずは楽な姿勢でゆったりした呼吸を続けます。すると気持ちが次第に落ち着 いてくるので、イメージの中でその真逆の二人を対峙させ、双方の意見によ~く耳を傾ける のです。つまり淡々と遠くから客観視するイメージです。


そして、どちらの意見にも異議申し立てをしない、中立の態度でただ「じ~っと聴いてあげる」のです。 すると、面白いことが起こります。 それまで対立の意見を言い合っていた二人が徐々に融合していくからです。 お互いに意見を聞き合うことができて、更に相手を無理に変えようとしない態度が生まれ てきます。そうして、最終的には迎合することなくお互いの違いを認め合うことができるの です。相反する意見の二人は私たちを支える両腕ですから、片腕だけだと自信が無くなり、 両腕が戻ると自信が戻ってきます。


「人生の目的」は好き嫌いの両極を兼ね合わせた調和の 中で生まれてくるのです。


(写真:2018年11月 空手の審査会にて)


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